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承認欲求は悪いことではないが、在り方がよくない人は負の連鎖を生む

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承認欲という言葉は2014年あたりから上昇トレンドに入り、安定した需要を出しているようです。

スマホやSNSで個人が気軽に発信できるようになってから「認められたい」という意識が加速したのでしょうか。

それに伴い承認欲求の強い人を非難する声や「承認欲求が強くて何が悪い!?」と擁護する人もおり賛否両論です。

 

たけのこ自身も強すぎる承認欲求を持つ人には「うーん、微妙」と思う方でありますが、承認欲があること自体は当然のことだと考えます。

そして「承認欲はその在り方が重要ではないか?」と思っているのでそのことについて書いてみます。

 

承認欲求は悪いことなのか?

「お金に目がくらむ」と人間はロクなことをしない

きっと共感してもらえるはずです。

ギャンブルで手持ちの金を倍にしようとして大負けしたり、都合の良い投資話を持ち掛けられて資産まるごと詐欺られたり。

あるいは自分の役職を利用して会社のお金を横領・着服したり。

全部カネに目が眩んだ結果です。

 

個人的に承認欲求というのも「満たされれば嬉しいけど、それに目がくらんだ瞬間に崩れ落ちるもの」だと考えます。

 

汗水垂らさずに得たお金を「あぶく銭」と言いますが、インスタントに得た承認は「あぶく承認」とでもいいましょうか。

自分の中で簡単に消費できてしまい、本当の意味での自信にはなり得ないでしょう。

そんな人が「もっと早く!もっと沢山!認めてほしい!!!!」と承認欲求に目がくらんだとき、その人らしからぬ言動をするはずです。

それって、もはやその人本来の良さが欲望にかき消された状態だと思います。

 

「それが悪いことなの?」と問われたら、悪いというより不幸なことではないか?と答えます。

なぜなら、その人本来の持ち味を他人に好いてもらったり、認めてもらえるからこそ「自分は自分のままでいいんだ」と思えるわけです。

承認欲に目がくらんだ結果「こうすれば人は認めてくれる!」と自分らしからぬ行為を積み重ねて、いつか悲鳴を上げるのは誰でしょうか?

きっと、自分自身ではないかと思います。

さらにそのままの自分を好いてくれた人は「昔と比べて人が変わってしまった。それも見苦しい方に・・・」と離れていくかもしれません。

 

 

というのも、たけのこ自身も満たされない自分を変えたいと「自分らしくないこと」をたくさんやりました。

自分らしくない自分を演じてるくせに評価されないのは死ぬほどつらいです。

かといって評価されても「それは本当の自分じゃない」と再び強烈な苦悩が襲います。

 

「誰かに認められたい」という欲求は行動を起こすための燃料として機能するため、あって当然、むしろ在ってよいものです。

しかしお金と同様に「そこに目がくらんじゃ人が変わっちまうよ」と。

 

他人の評価なんてフワフワしてて崩れやすいもの

「認められたい」というのは言い方を変えると「他人の評価を得たい」とも言えますよね。

でも、芸能人やタレントを見てみてください。

「不倫だ!」「闇営業だ!」と、1つでも問題が出るとみんな手のひらを返すように「ロクでもない奴だ!」と評価が変わります。

人の数だけ難解で複雑な評価軸がある。

 

それまで「〇〇大好き!」といっていたとある俳優のファンが「失望した!もうファン辞める!」と。

理由を聞くと「結婚したから」と。

その俳優がいくら演技力を磨いても、そのファンの評価軸では「結婚したこと」が全てを帳消しにするのです。

他人の承認なんて、せっせと積み上げてもすぐ崩れていくフワフワしたものなんです。

 

一度は自分がたくさん褒められても、その周囲が今度は他の人を褒め始めると「私はやっぱダメなの?」って自信を無くしてすぐ落ち込む。

24時間年中無休で自分を気にかけてくれる他人なんかいませんて。

むしろ、それができるのは他でもない自分だけです。

 

だから「昔と今の自分の成長を比較できる物事」や「小さくてもいいから成功体験」が必要なんです。

山登りみたいに後を振り返って「ここまでこれた!自分やればできるかも!」と思えるから自信がついて、他人から過剰に認められなくても良い精神状態ができるんです。

あるいは「この人達から認められればOK」と思えるなら、万人の評価など不要です。

 

自分に自信がある人だって他人に嫉妬したり、他人と比べて落ち込んだりしてますよ?

でも結局「他人は私にはない良さがあるし、私も他人にはない良さがきっとある。私も少しずつでも成長してるのは事実だし、まぁいいか~。」と自分を俯瞰して自分の柱を維持できているので自信があるように見えるのです。

 

他人が自分より成功したり、上手くいっているから焦って「自分らしくないことをする」

これこそが人生において最大の回り道であり、考えるべきは「私にとって幸せな状態とは何か?」を突き詰めて考えることです。

 

数を集めりゃ幸せ?強く見える?そういうのはただの幻

フォロワー10万人いれば幸せですか?月収100万稼げれば幸せですか?

それよりも今、恋人や子供がいて、ほのぼのとの愛を感じられれば毎日バラ色じゃないですか?

豪遊できなくても、片手で収まる程度の友達と居酒屋で飲んで笑ってる方が充実じゃないですか?

昨日できなかったことが、今日できるようになったらそれだけで達成感ヤバくないですか?

 

満足?でも恋人も友達もいない?

じゃあ無駄にフォロワーなんてせっせと作らなくても、1人の恋人や5人程度の友達を作る行動すれば最短で幸せになれる。

彼らから認められれば万人から認められる必要がない。

お金がなくても、いま自分ができることを続けていれば勝手に成長する。

成長した自分を自分で認められれば、それだけで強くなる。

 

理想を言っているように思いますか?

でも、適当に数だけ集めりゃ願いが叶い不満が晴れるなんて理想どころか幻想です。

 

「そもそもなんでそんなに認められたいの?」を紐解くと解決策はあっけなかったりします。

  • 子供の頃から失敗ばかりで、自分が嫌いだった
  • いじめられた経験から引っ込み思案で自信がもてない
  • 受験や就職に失敗して、自分は負け組だと思っている
  • 同い年の友人がどんどん出世して、取り残されているような気分

だから大勢から承認されれば、そんな自分が変わるかもと思いますか?

 

きっと変わりません。

それなら世界旅行でもして「自分は一人で世界を見てきた!」という自信でも付けたほうが秒速で変われます。

大学生くらいに海外旅行へ行って「価値観が変わった」とか言い出す人がいるのはある意味で自信を付けて帰ってきたということなのだと思います。

 

自分の内側から湧いてきた孤独や不満・苦悩は、自分じゃないと(本当の意味で)癒せません。

もちろん他人の姿を見て感心や共感からの反省があったりはするでしょうけど、卑屈な人は何を見ても「アイツは才能があって、運があっていいよな」と捉えてしまうため、結局自分がどう考えるかでしかありません。

 

承認欲求とどう向き合うか

自分で自分を承認できる視点・構造をつくっていこう

今まで書いたことをまとめると・・・

 

いくら承認されても自分でそれを消化・昇華できずに欲求ばかりに目がくらむと負のループに入る。

逆に自分で根拠を見つけて自分を評価・承認することができれば、他者からの承認は少なく済む。

 

少なく済むというのは言い換えれば「他人の評価にいちいち右往左往しない器」ができているということです。

どっちに転んでも「周りはこんな評価なんだ~あははウケる」くらいになってるんですよ。マジで。

 

急に注目されてイキりそうな(調子にのりそうな)人ほど、承認を受け止める器ができていないくせに承認を過剰にもとめたがる傾向にあるようです。だからどんどんねじ曲がっていく。

私がよく言う「インスタントな行為」で他者からの評価を求めるから、評価されない=それが苦しくてさらにアピールする=評価されないの繰り返し。

 

私の抽象的で稚拙な文章の100倍わかりやすい解説があるので引用させていただきます。

「手っ取り早く承認を求める人」は、残念ながら企業内で大きな問題になることも多い。

特にそれをはっきり言ってくれる指導者がいない場合は、なおさらだ。

 

彼らは例えば、以下のような発言をする。

 

・上司が褒めてくれないので、やる気が出ない

・地味な仕事は皆が認めてくれないので、やりたくない

・見てくれている人がいないので、やめてしまおう

・何故あいつよりオレのところに先に話を通さないんだ

・オレのほうが学歴がいいのに、何であいつが先に出世するんだ

 

反対に、承認欲求を自己のコントロール下に置いている人は、次のように発言する。

・上司をうならせるような仕事をしよう。

・地味な仕事こそ、大事にすることが自分のためになる

・見てる人がいないときこそ、自分が自由にできるチャンスだ

・私は彼を信頼しているから、私に相談するかどうかは彼に委ねよう

・彼の実力が上だったということか。頑張ろう。

 

当然、下の考え方の方が実力がつく。実力がつけば、認めてくれる人は自然に増える。

人から羨ましがられたり、褒められたりすることに頓着しないことが、結果的に人の評価を受けるのだ。

引用:「承認欲求の強い人」は認められず、逆に「承認欲求のない人」ほど評価されるという皮肉。

 

むしろ「承認欲求どうのこうの」を気にしているうちはまだその行為に対して本気になれてないとも言えそうです。

だって、本気で取り組んでいたら夢中で回りの言葉なんて入ってこないですよね。

ましてや「自分が周囲からどう評価されるか?」なんて事を考えるためのリソースは無いわけです。

 

彼らは積み上げてきた自信や「自分の中の評価尺度」があるので、他者の評価、賞賛を「参考意見」と捉える。

それゆえ、周りの人間は彼と適度な距離を保つことができ、彼は「付き合いやすい人間」と感じてもらえる。

 

逆に承認欲求の強すぎる人は、

「何でオレを褒めないんだ!」

「頑張ったのに、認めないのか!」

と常に不満を抱える。

もちろん、彼らをなだめるために大人の対応をする人もいるが、彼らの相手をするのは面倒なため、徐々に周りは彼らを相手にしなくなり、彼らはますます孤立する。

とうぜん、実力もつかない。

引用:「承認欲求の強い人」は認められず、逆に「承認欲求のない人」ほど評価されるという皮肉。

 

これは私が以前書いた「強すぎる承認欲求を満たそうともがく人ほど認められにくい理由」と共通するところでもあります。

自分の実力を客観視できないまま、他人の評価レベルの違いを理解しないままひたすらに「自分が褒められたい、自分が認められたい」と叫んで動く様は実に痛々しさを感じさせます。

 

彼らが悩むうちに地味で地道にその物事を楽しんでやっている人がどんどんレベルを上げ、本当の意味で欲しいものを全部手に入れていく。

それをみてまた承認欲求を募らせる。

なんてもったいない・・・と悲しくなります。

 

さいごに

承認欲に苦しむ人に優しくしたほうがいいのか

SNSを見ていると「あぁ、承認欲に苦しんでそうな感じだなぁ」と思う発信をたびたび見ます。

そういう人はだいたい「何か見せなきゃ」と思いながら新しい何かが無いため、過去のモノを再放送します。

 

例えば過去作品の画像と共に「〇年前の作品を見て当時を思い出す、あの頃はまだまだだったなぁ」みたいな。

それをダメとは言いません。やりたいならやればいいのです。

 

しかし、承認欲などに囚われていない人はむしろ「過去の作品なんて恥ずかしいから見せたくない、それしか見せられないなら黙ってるよ」くらいのモチベーションや姿勢だったりします。

だから、過去の栄光にすがらないし、どんどんアップデートされた作品が出てくる。

結果的に多くの人から注目され、時に賞賛を得ます。

 

 

ここまで全部、お前(たけのこ)の感想だよね?

と言われて間違いないことを書いたわけですが、私は自分を信じられるようになってから「無いなら無いで黙ってるし、有ってもさして目的がないなら黙ってるよ」で心の平穏を保てていると思います。

自分がどう自分と戦うか?に意識が向いていると、他人のことを羨んだり嫉妬することもゼロとは言いませんが、比較的「いやいや、これは自分との戦いだから」と切り替えることが可能です。

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