仕事への不安

努力はかけた時間の量ではなく試行錯誤の質と量でなければならない。

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よく他人に嫉妬しすぎる人で「あいつより自分の方が長く努力してきたのに!」と言う人がいます。

そして、努力を時間の量だと思い込むが故に「実力も経験もないくせに上に媚びへつらって選ばれたんだろどうせ」など、自分の納得がいくような理由で相手にケチをつけて永遠に選ばれない人がいます。

そうならないためには「努力という言葉をどう捉えるか」が大切です。

努力はかけた時間の量ではない

時間をかければ試行錯誤は増える(傾向にある)けど

タイトルで結論を言っている通り、努力は「自らの試行錯誤の質と量」を基準にしなければなりません。

なぜならそれは「自分が成長するために必要なパターンを膨大に試す」ことになるから。

 

  1. 毎日ギターで自分がらくらく弾けるレベルの曲だけ10年弾いてきた人
  2. 毎日ギターで今の自分が少しむずかしいと思うレベルばかり5年練習してきた人

両者で比べるとキャリア的には10年の人のほうが上ですが、成長スピードは5年の方が上でしょう。

もちろん長く続ければ続けるだけ試行錯誤や発見も増えるのでゆるやかに上達する人もいますが、意図的に自分を壁にブチ当てている人の足元にも及びません。

 

こういう試行錯誤の連続を努力といいます。

自分が難なくできる領域は苦痛を伴わないので快適なゾーン(コンフォートゾーン)だと言えますよね。

しかし、そこに居続けて見える未来の自分は「今の自分」と変わりません。

ある程度できるようになったからと得意になって練習を怠ると崩れ落ちていく人がいるのはこのためです。

 

また筋力トレーニングでも筋肥大を促すには「らくらくこなせる負荷じゃ意味がない」と言われています。

「自分にとっての高負荷を少ない回数でやれば筋肥大が起こる」というのはまさに「かけた時間の量が努力になる訳ではない」という事を表しています。

 

「見習い修行は不要」の論理

かの有名な堀江貴文氏が以前下記の発言で注目を浴びました。

寿司職人が何年も修行するのはバカ

引用:ホリエモン「寿司職人が何年も修行するのはバカ」発言 数か月で独り立ちの寿司はうまいか?

寿司職人の世界では「飯炊き3年握り8年」という言葉があるようで、長い下積み修行の末に一人前の寿司職人になれるという認識があるようです。

しかし、引用先の記事にもあるよう「飯炊き3年握り8年」の真意として「場数を踏まないといけない」という意味で使われているという反論もあります。

 

場数とはつまり試行錯誤のことですから「10年くらいは寿司を提供する側の学びを得なくてはいけない」というのを粋な言葉で表したのでしょう。

とはいえその実態は下積みという名の雑用であり、1年ずっと皿洗いや買い出しなどもあるとか。

そんな雑用仕事のスキをみて師匠となる人の一挙手一投足を目で見て盗むというのが「下積み修行」が持たれる一般的なイメージでもあると思います。

 

個人的には「そこまでのポテンシャルがある人(日々の雑用をこなし技術を盗もうとする野心)なら自分で試行錯誤して到達できる領域はあるし、彼らが10年も使う必要あるのか?」とは思います。

もちろん幅広く精通しようとすれば年数はかかりますし、師匠の下にいることで得られるメリットもあるでしょう。

  • 馴染みのお客さんや仕入れ先の方々などとのコネクションができる
  • 長年修行したという対外的・ブランドイメージ的な価値

 

しかし、上記のメリットも昨今アイデアで知名度を上げるような「クリエイティブ飲食店」の前には弱くなっているように思います。

例えばホスト寿司屋「へいらっしゃい」の大将は老舗寿司屋で修行をしたとのことですが・・・。

親族が寿司店を経営していることから、幼少の頃より鮮魚の精通しており、お店を始めるに当たってホストとして働くかたわら老舗寿司店で修業を積んだという。

引用:【コールあり】ホストが握る寿司屋『へいらっしゃい』に行ったら「寿司タワー」が出てきてビビった! 東京・新宿歌舞伎町

ホストして働くかたわらの修行なので、要は二足のわらじ状態です。

幼少期からどうこうとはありますが、この書き方だと10年も修行しているとはとても思えません。(していたらすみません)

お店を出す2~3年前くらいではないでしょうか?

むしろ長年極めてきたホストという世界観の中で寿司屋をやるという組み合わせのアイデアが功を奏しているとも言えますよね。

「寿司屋なのに軟派でチャラいな〜」というイメージの割にはしっかりした美味しいお寿司がでてくるというギャップ勝ちです。

このような形で質(最低限の寿司としての体裁)と内容(話題性や面白さ・世界観)を両立させられるのなら、寿司だけ10年極めることはかえってリスクになるとも考えられます。

「頑張って修行している人にリスクとはなんだ!」と怒り出す人もいるかもしれませんが、愚直に10年修行する人なんて世の中たくさんいるのです。

老舗店で握る正統派の寿司職人だってなれる数に限りがあるのです。

その少ないパイに食い込めるのならともかく、これからは寿司+αの価値観や世界観を求められることもあるでしょう。

そういう需要の波に乗ったり、作り出したりする能力もなくてはいけないはずです。

 

ただもう10年の下積みをしてしまった人からすれば「今更自分たちの生い立ちを否定すんじゃねぇ」と怒るのも当然です。

とはいえ時代が変わっているのに人間の考えが変わらないのはおかしな話。

10年の下積みをしなきゃいけなかった時代があったからこそ「しなくても野望を叶えられる時代がきたんだ」と割り切ることが重要ではないでしょうか。

 

試行錯誤の質と量を両立し続ける人には敵わない

当たり前ですが、同じポテンシャルで本当の意味の努力を続けられる人が2人いたとしたら先に始めた方が有利です。

「それじゃあ勝ち目がないのかよ」と思われるかもしれませんが、それはミクロな視点で見た試行錯誤の場合。

 

ミクロではなく、逆にマクロな視点で見る試行錯誤とは、先程紹介したホスト寿司屋みたいな話です。

いわゆる老舗寿司屋などでは昔からの固定客が付いているでしょうから、そこに参入していくのは簡単なことではありません。

しかし「違う視点で寿司屋を開けば唯一無二の存在になれるかもしれない」と考えるのがマクロな視点の試行錯誤です。

 

つまりは「ある土俵で勝ち目がないと思ったときに、じゃあどこに土俵を変えてしまえば自分の求める成功を掴めるか」という思考です。

例えばとあるドラッグストアでは「入れ歯洗浄剤のコーナーに"歯につきにくいガム"」を陳列しているようです。

普通はお菓子コーナーに置かれている"歯につきにくいガム"ですが、土俵を変えたことでよく売れるようになったとのこと。

ガムはお菓子売り場という"当たり前"をマクロ視点で疑うことから「歯につきにくいガム=入れ歯の人が買ってくれるかも」という発見が生まれます。

 

さいごに

大衆の「普通はこうだよね」を裏切るのが成功者と失敗者

  • 普通はコンテストに応募したりデモテープ送るよね → Youtuberになってファンと注目を集めてからレーベルにアピールする(既にファンを持っている人のほうが事務所も好都合)
  • 普通はたくさん練習して覚えるよね → できないことはプロに外注してしまう(自分でやることをハナから考えない)
  • 普通は技術がないとファンはできないよね →  素人から徐々に上手くなっていくストーリーそのものを提供しようと考える(技術がなくてもやってることが面白ければ注目される)

世の中には「普通はこうだよね、これが努力だよね」という固定観念のようなものが溢れかえっています。

成功する人・失敗する人はそれらを裏切るような行動を取るのです。だから理解されなかったり批判されたりもする。

成功者と失敗者はいつも表裏一体の関係にあるからこそ試行錯誤がモノを言うということ。(成功するまで撃ち続けるから当たる)

 

もう一度言います。努力はかけた時間の量ではありません。

試行錯誤の質と量です。

試行錯誤のサイクルに時間がかかることはありますが、時間をかけたことが試行錯誤になるわけではありません。

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