人間関係

「能力のない人の生き方」を調べる人は可能性がある人だと思う

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自分には能力がないと思い悩んでいる人は意外と多くいるようです。

「能力のない人 生き方」という検索ワードがあったのでそこについて考えを書いてみたいと思います。

「能力のない人の生き方」を調べる人は可能性がある人

自分自身を低く見積もってしまう人ほど伸びしろがある。やる気次第。

「ダニング=クルーガー効果」をご存知でしょうか。

簡単に言うと「できない人ほど自分の能力を高く見積もる傾向にある」という研究結果から名付けられた現象です。

能力が低い人ほど、自分の能力を高く見積もる傾向にあります。
結果、改善の意識・技術が低下するわけです。

DunningとKrugerが研究したメタ認知的な現象の一つで、二人の名前をとって「ダニング=クルーガー効果」と呼ばれています。
(参考:Unskilled and Unaware of It: How Difficulties in Recognizing One’s Own Incompetence Lead to Inflated Self-Assessments)

引用:ダニング=クルーガー効果とは? 3つの原因を学んで対策を考えよう

 

このことを逆に捉えると「自分は能力も実力もない。生きててつらい。むなしい。」と感じる人ほど、実は可能性に溢れているものだと考えます。

そもそもの性質として「自分より他者の方が良く見えてしまうフィルター」を持っている人は、都合よく相手を上位に持ち上げる視点の豊かさ(相手の良い所を見つける力)を持っています。

 

そういう人が例えば仕事において「仕事ができる人・仕事ができない人」を見るとこう捉えるでしょう。

ポイント

  • 仕事ができる相手・・・こんなに仕事ができるなんて!できない自分がとにかく恥ずかしい。
  • 仕事ができない相手・・・まだ評価される段階ではないかもだけど、行動力や考え方がすごい!自分には無い良さがある。

 

相手の良い部分を見てしまう・見えてしまう割に自分の良い所はかすんで悪い所ばかりが気になってしまう性格。

もっと言えば「自分はもってない(と思うもの)を見つける才能の秀でた人」と言えるのではないか?と考えます。

 

だから何をやっても「あの人の方がすごい、自分はダメだ」と打ちひしがれてしまいますが、それでも諦めない人は強烈なまでに上まで上り詰めるでしょう。

逆にそこで諦めてしまう人は「いろいろ出来るはずのに、なんだか自信のない人」になってしまうと思います。

 

「能力がないのに自分を高く見積もる人」の報われない条件

能力がないのに自分を高く見積もる人はアピール力に秀でています。

実際の能力よりもアピール(=周囲に触れ回ること)の方が強いので、周囲の評価は常に下方修正で進むことになります。

最初は期待されていても後から「あいつ言うほど仕事できないよね」「口だけ達者だからな」という評価を下されてしまうのです。

 

逆に自分を低く見積もる人はいつも上方修正で進んでいきます。

「え、この人こんなに出来る人だったの?」「なんで言わないのさ!驚いたわ。」などと評価が後になって上がるタイプ。

しかし、適切なアピールができていない事には変わりないためチャンスを手にする機会は減ってしまうでしょう。

 

能力がないのに自分を高く見積もる人は必ずどこかで「なんで自分がこんな扱いを受けるのか?」と思いたくなる場面がやってきます。

それが本来(周囲からの)正当な評価な訳ですが、本人的には不服極まりない状況です。

そこで「今の自分をさらにアピールする or 現状を見直しレベルを上げる」のどちらを選ぶかで今後が変わっていきます。

 

「自分を評価してくれない周りはわかってない」と今の自分をさらにアピールし始めると、場合によっては本格的に救われない状況に陥ってしまいます。

逆に「もしかして自分のレベル・・・思ってたより低い?」と気付ける人であればいくらでも挽回可能でしょう。

 

自分には能力がないと感じる人はどうするべきか

こういう性質を持つ人は「やめようと思っても人と比較して落ち込んでしまう部分」があるのではと思います。

いくら他者から「自分と相手を比較しなくていいじゃん」と言われてもつい比較してしまうでしょうし、それは彼らに対する優しい言葉になり得ないと考えます。

 

個人的には「比較して結構。ただその比較は贔屓されていて正当ではない」ということだけ頭の片隅に入れておいて欲しいと思います。

 

そもそも人は「かっこ悪い所・コンプレックスに思うところは隠したい」と感じるものですから、他人に見せている顔はだいたい「隠したい所を可能な限り隠した後の自分」であることがほとんどです。

オシャレだってメイクだって他人に良い自分を見せたいからでしょうし、自分の個性を見せたいからでしょう。

学歴コンプレックスがあるならそれを補おうと意識して知的に振る舞うでしょうし、お金に困っているのに「貧しく思われないように」と意識してブランド品を求めたりします。

「武士は食わねど高楊枝」みたいな。

 

しかし、自分を低く見積もる人は「嫌な部分が隠された後の良い部分ばかりの他者」と「嫌な所がすべて筒抜けで良い部分が相殺された自分」を比較するのです。

こんなのどう考えたってズルいじゃないですか!悲しくなって当然ですわ。

 

SNSだってそうです。

「今日は彼氏にフラれ、仕事はミスして陰口叩かれ、急な出費でお金も大変です」なんて投稿する人いますか?

みんなそういう所を隠して、やれ「○○に旅行!いい景色!」だの良い所・かっこいい自分ばっかり見せあってるんですから。

 

今をときめく作家やアーティストの最も初期の非公開作品を知っているんですか?

めちゃくちゃダサくて恥ずかしいレベルを量産しているはずですが、そういう所知らないじゃないですか。

なのに始めたばかりの自分と比較して「やっぱりプロになる人は・・・」というのは都合が良すぎです。

 

正当な比較でないことがわかった以上、するのは自由ですがただの「自分いじめ」にしかなりません。

 

「今の自分をもっと愛してあげよう!」的なハッピー教みたいな人は正直好きではありませんが、自分を低く見積もる人が必要以上に自分を卑下して行動を制限するのもあまり好きではありません。

だからこそ「自分が、自分と他人をちゃんと比較できるなんて思わないで欲しい」とだけ言いたいです。

 

さいごに

相手の良い所を話してみるとヒントが得られるかも

自分には能力がないと感じてしまう人は、相手の良い所は明確に見えているはずです。

現状、そういう人が自己認識できる最高にクールな部分は「相手の良さが見える」ところにあると思いませんか?

 

それを心の中にとどめず、積極的に相手に伝えることが何かヒントを得られるきっかけとなるかもしれません。

というのも、他人もこちらを見て「良いと思うこと」を心に留めているかもしれないため。

そして他人もまた「自分の良いところがわからずに気にしている」可能性が高いのです。

 

「他人から自分がどう見えているのか?」は自分でいくら考えても答えはでません。

たけのこ
「あなたと比べて、自分はこんなだから。」と卑下するのではなく「自分にはないこんな良い所を持っていますね。」と思ったままを伝え続けると、思わぬギフトが来る気がします。そこから生き方を模索するのはいかがでしょうか?

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