人に「自分語りをする人は好きですか?」と聞くとだいたい「嫌い」という回答がくるようです。
その理由としては「空気を読まずに興味の無い話ばかりしてくるから」だそうですが、ということは必ずしも
自分語り=100%うざいとはならない
と言えるため、この部分について考えを書きたいと思います。
うざくない自分語りができる人の特徴
相手の興味感度を察知して押し引きのバランスを調節できる人
「空気を読まずに興味の無い話ばかりしてくる」のがウザいなら「空気を読み興味のある話ばかりする人」は自分語りであろうが喜ばれるはずです。
相手の表情や声色などから「あーこの話興味ねーな」と思った瞬間にサッと引き、また違う話題を出すというテクニックがある人は相手と関われば関わるほどに好みを引き当てることができますよね。
自分語りがうざい人というのはそもそも「求められていない人が求められていない話をしている」というダブルパンチを繰り出すからウザいのであると言えます。
そしてそこに自覚がないか、自覚してるけど自分の話を止められない(構ってほしい)という可能性に続いていくのが問題。
普通どちらか一方が満たされていれば人は耳を向けてくれるものです。
- 相手に興味はないけど、話には興味があるから聞く
- 相手に興味があるから一応聞くけど、話自体は興味はない
好きな人が「俺は世界平和のために日夜考えていてね・・」と語りだしても、相手そのものが好きなら「へーそうなんだ!」くらいには聞くでしょうし、人によって染まって一緒に好きになったりします。
あるいはこれからママになる妊婦さんは、相手が見ず知らずの人でも「出産経験者」として語っていたら「へぇーそうなんだ」と気にしてくれたりします。
自分そのものが興味を持たれていないと思うなら、せめて会話ネタは相手の興味を狙いにいかないとウザい人に成り下がります。
相手の興味を狙いにいくには?と考えると「相手の話を聞くこと」が欠かせません。
「ん?じゃあ自分語りよりウザいのは相手の話を聞かないことなのではないか?」と思った方。
たけのこもそう思います。
よく注意して会話を聞くと、自分の好いている人や仲の良い友人でも会話の中にもれなく自分語りを含めていたりするものです。
ただ嫌な感じがしないのはちゃんと自分のターンが用意されているから。
- 友達とトランプで遊んでいる時に何らかの手法で何連続も「自分とばし」をされ続けたら楽しくありません。
- 討論番組で誰かが話し始めた時に遮るように喋りだす論客に対して「待てないのかお前は!」と怒りを覚えます。
人の話を聞かないということは「相手のターンを否定する」ということだと考えます。
自分を求めてくる人を集めることができた人
実際、有名人やアーティストなんかは自惚れマイワールド全開で恥ずかしげもなくポエミングかましてもファンに支持されたりします。
そこらへんの人がやったら「うざ、キモっ、死ね」となるところも、その世界観に追従してくれるファンがいるなら無問題といえるでしょう。
ビジネスの世界でも先輩経営者の指南を仰ごうとする駆け出し経営者がいますよね。
そういう場で先輩経営者はだいぶウザい事を言っていたりしますが、尊敬する先輩の言葉を一言一句聞き漏らさんと必死にメモを取る姿もビジネスセミナーなどからちょくちょく伺い知ることができます。
という意味では、たけのこの当ブログは憂さ晴らしかのように辛辣でウザい事を言い、かつ「お前誰だよ」レベルの存在なので、これをSNSなどでやると100%ウザがられます。
ブログでもウザいと思われるでしょうけど、結局ブログは読みたくない人にも押し付けている訳ではないのでかなり気遣いゼロで書いています。
ぜひウザいことを言ってありがたがられたい場合はファンを集めて下さい。
SNSで自分語りがうざくなる理由
SNSはブログとは違いフォローし合った同士のタイムラインに投稿が流れてくるのが特徴です。
ミュートするかSNSそのものを見ない限りは必ず目についてしまう構造。
自分の出来事や考えを述べようとしたとき、そう考えるに至った背景(コンテクスト)を説明する必要があり、そこには自分語りを含めずにはいられません。
そのコンテクストが分厚い人間ほど、単純化をしないと前置きが長くなり自分語りも増えがちです。
- 海外生まれ海外育ちから日本に帰国、その後いじめられた経験をした人の「いじめよくない論」
- 日本で同級生がいじめられるのを見たけど自分は傍観者だった人の「いじめよくない論」
前者だとどうしても自分の生い立ちや海外との比較が混じり、そこに自分語りが発生します。
しかし、後者だと「まぁいじめはよくないと思う。可愛そうだし」くらいの熱量で済ませることもできるでしょう。
その人独自の背景はその人の熱量をそのものであるため、ありのままに出せば出すほど(話題により)SNSでは長く重苦しいものとなります。
ライトなノリにするには熱量を出さなければいいのですが、それができない結果自分語りが大量発生しフォロワーのタイムラインを埋め、さらに自慢やアピールを含んでいたり(そう誤解されたり)、共感もし難いとき「なんだコイツくっそうざいな!」となるのだと考えます。
自分語り出し例
- 今でもこの曲たまに聴きたくなる。当時の彼氏と付き合ってたときよく聴いてたなぁ・・・今の彼氏は...(略
- 私は海外で○○を学んだのち、○○の資格を取った程度にワインが好きだが、正直日本のワインはレベルが低くて...(略
- 年間300冊以上は小説読むけど、俺史上最高傑作は○○しかない。中でも...(略
- 今まで付き合った男性はみんなこうだったけど、私って○○なところがあるみたい。よく言われるんだけど...(略
- 今日はジョブズの命日か。俺のアップルとの出会いは20年前、当時まだ数百万のコンピュータを...(略
- アメリカで生まれ育った身としては今の日本の英語教育を見るとため息がでる、とくに...(略
こういうのを皮切りに、誰も頼んでいない語りが続々とタイムラインを埋め尽くすとウザい認定されるでしょう。
そして受け手側へ何を問われる訳でもなく、一方的にドドドドド!と語りが飛んでくる。
SNSを見ていて思うのは「インタビューされたい人多そうだなぁ・・・」ということ。
成功者や有名アーティストがテレビなどでかっこよく語っているように、インタビューされたい願望を叶えるためにはインタビューされる必要があります。
その気持ちはたけのこもわかります。誰だって自分の話を興味津々に聞いてくれたら嬉しいですから。
しかし、普通に生きていてインタビューなどありません、自発的に語るほかなくなります。
よって下記のような話になるのではないでしょうか。
【無慈悲】Twitter質問箱「Peing」さん、14万人を公開処刑してしまう → 自作自演の質問は30万件以上! 中には100問以上の猛者も
「構ってほしい(願望)」→「構ってもらえない(現実)」→「自作自演で雰囲気だけ満たすor淡々と自分語り」
自分に質問して自分で答えるというのはとてつもなく虚しいことですが、例え自慰でも気持ちがいいことには変わらないのと似ているかもしれません。
さいごに
数百文字でインスタントに語るくらいならブログでも書こう
個人的には自分語りそのものが問題というより、相手との発言ターン問題な気がしています。
相手のターンを否定し続けると「もうお前にはターンそのものをやらない(=関係を断つ)」というような結末になりかねません。
SNSで言えば相手にとって興味のないことでタイムラインを埋め尽くしてミュートを食らうようなことがそれに該当するのではないでしょうか。
つまりSNSはある程度コンテンツの軸が定まっていたほうがよいということになるでしょう。
(雑多なつぶやきをして相互フォローで上辺のフォロワー増やしたところで心は満たされない気がします)
たけのこ個人としてはSNSはどこか「捨て台詞感」を感じてしまうため、ブログが好きだったりします。
いろいろこねくり回すと長くなりますし・・・。
ということで、自分語りをしても許される人は以下。
- 相手にも十二分に語るターンを与えている人
- 相手の趣味や興味をちゃんと捉えて自分を語っている人
- 自分語りを求められている人(有名人など)